自分の考えを表現することには恐怖が伴うし、そもそも面倒くさい

「日記を書くことにする」という日記を書いていたら筆が乗ったので。

技術ブログというより、特に思想系やニュース語り系の記事を読んでよく思うことは「よくそんな自分の考えをおいそれと開陳できるな」ということ。

認識がまったく間違っているかもしれないし、自分の考えが少数派で世間的にはおかしいかもしれない。そうそうないとはいえ炎上することもある。友達に面倒なやつだと思われてしまうかもしれない。

そもそも、自分の考えをわざわざ発表するということ自体が面倒で大変なことだ。
中学高校あたりになってどんどん手が上がらなくなってくるのは、間違うことへの恐れというよりは「(間違いなども含め)そもそも面倒」というのが大きな理由だったりするのではないか。

なぜ表現するんだろうか?

会社では、エンジニアの評価基準のひとつに「影響を広げる力」がある。これは「優れたアウトプットとはなにか?」という問いに対するひとつの答えといえるだろう。
アウトプットによってひとに何かしらの影響を与え、行動を起こさせるものがよいアウトプットである、ということだ。

これは裏を返せば、アウトプット、つまり表現することというのは「ひとに影響を与えてしまうかもしれない」ということで、実はとても恐ろしいことなんじゃないかと思う。

文章を始め歌や漫画など、世の中のすべての表現には同じ恐怖が伴うのだろうし、「それでも表現したい」と考えているから、彼らは表現を続けているのだと思う。

月並だけど「大いなる力には大いなる責任が伴う」ということであり、「そんな面倒なことならしなくていい。別にアウトプットは義務じゃないし、そこまでの熱意もない」と考える人がいてもまったくおかしくないし、むしろそれが普通なくらいではないだろうか。

IT企業ではアウトプットアウトプットと呪文のように言われているし、弊社的にも価値指標・評価基準にもなっているから前提ではあるのだけど、「なぜ表現するんだろうか?」というところから考えてみてもよいのかもしれない。

さて

……と、ここまで書いておいてあれだけど、そんなことを考えすぎていたらまったく表現できなくなるので、そこは念頭に置きながら、楽しく気楽にやればいいんじゃないかと思いました。まる。